忘れもしない、ある日のこと。会社で、ふとした拍子に上司の年収を知ってしまいました。毎日のように残業して、部下の責任も背負って、それでこの金額なのか——と。当時のぼくは年収450万円の会社員。「このまま真面目に20年働いても、行き着く先はあの上司なのか」。そう思った瞬間、背筋がスッと寒くなったのを今でも覚えています。
この記事は、その日から副業でeBay輸出を始め、5年かけて月利200万円・脱サラ・法人化までたどり着いた、ぼくのリアルな全記録です。最初に言っておくと、「とんとん拍子で成功しました」なんて話ではありません。むしろ地味で、苦しくて、淡々とした5年間でした。それでも、普通の会社員が世界を相手に物を売って独立できた。その過程を、できる限り正直に書きます。
同じように「今の働き方のままでいいのかな」と立ち止まっている人に、少しでも参考になれば嬉しいです。才能も人脈もコネもなかった普通の会社員が、何を考え、何でつまずき、どう抜け出したのか。等身大の5年間を、そのまま書いていきます。
きっかけは「上司の年収」だった(2021年)
副業を始めた一番の理由は、将来への漠然とした不安が、上司の年収を知ったことで”はっきりした不安”に変わったからです。残業まみれであの数字なら、ぼくの10年後、20年後も見えてしまった。会社が悪いわけじゃない。ただ、自分の人生の上限が他人に決められている感覚が、どうしても受け入れられなかったんです。
その日から、頭の片隅にずっと「このままでいいのか」という問いが居座るようになりました。給料は安定している。福利厚生もある。周りからは「いい会社じゃないか」と言われる。でも、自分の人生の伸びしろが、入社した時点でほぼ決まっている。その事実が、日に日に重くのしかかってきたんです。安定の裏側にある”上限”に、ぼくはどうしても耐えられませんでした。
「何かしなきゃ」と焦って、いろいろ調べた末にたどり着いたのが、eBay輸出という物販でした。物販なら、自分が手を動かした分だけ結果が返ってくる。会社員の給料のように頭打ちがない。2021年、ぼくは会社員のまま、誰にも言わずにこっそりとeBay輸出をスタートさせました。
最初の2年は「鳴かず飛ばずの試行錯誤」(2021〜2022年)
始めてすぐ稼げた、なんて気持ちのいい話はありません。最初の1〜2年は、リサーチと出品をひたすら繰り返す試行錯誤の連続でした。何が売れて、何が売れないのか分からない。出品しても反応がない。「この方向で合ってるのか?」という不安と隣り合わせの日々です。
今思えば、この時期に辞めなかったのが分岐点でした。多くの人は、この”反応がない期間”に心が折れて去っていきます。ぼくも何度も「向いてないのかも」と思いました。でも、年収450万円の会社員のまま終わる未来のほうが、ぼくにとってはずっと怖かった。だから、結果が出なくても手だけは止めませんでした。出品を1つ増やす、相場を1つ調べる。その小さな積み重ねだけを、ひたすら続けたんです。
そんな中で少しずつ見えてきたのが、「中判フィルムカメラ」という自分が戦える土俵でした。日本の中古カメラは海外で根強い需要があり、目利きと相場感さえ磨けば個人でも戦える。ここを主力に定めてから、ようやく光が見え始めました。(どんな機種が実際に売れたかは eBayで本当に売れるフィルムカメラ10選 に実データでまとめています)
一番苦しかったのは「副業時代の資金繰り」
5年で一番きつかった時期を聞かれたら、ぼくは迷わず「副業時代」と答えます。それも、派手な失敗の話ではありません。一番こたえたのは、地味な“資金繰り”でした。
「利益が出ているのにお金がない」——この感覚、会社員の給料だけで暮らしていた頃のぼくには想像もできませんでした。給料は毎月決まった額が口座に入る。でも事業は違う。お金は商品と時間の中をぐるぐる巡っていて、タイミングを読み違えると一気に詰まる。この”血の巡り”を管理することこそが物販の本質なんだと、痛い目を見ながら学びました。
物販の難しさは、ここに尽きます。手元のお金が「在庫」に姿を変え、それが売れて入金されるまで、現金が手元から消える。帳簿上は利益が出ていても、財布は常にカツカツ。次の仕入れに回すお金と、生活のお金の綱引きが、ずっと続くんです。物販を”資金のコントロールゲーム”と呼ぶ人がいますが、本当にその通りでした。
たとえば、いい仕入れ案件を見つけても、手元の現金が次の入金待ちで動かせない。チャンスを目の前にして指をくわえて見送る——そんな悔しさを何度も味わいました。逆に、攻めすぎて在庫に資金を寝かせると、今度は生活が回らなくなる。このアクセルとブレーキの加減を、毎月ヒリヒリしながら探っていました。利益が出ているのに通帳の残高はいつも薄い。これが、経験した人にしか分からない物販のリアルです。
しかも副業ですから、時間もありません。遊びも趣味も、付き合いも、ほとんど削りました。仕事から帰って副業、休日も副業。華やかさはゼロです。ただ淡々と、目の前の一台を仕入れて、検品して、出品して、を繰り返す日々でした。
朝、出社前に出品作業。昼休みに相場チェック。帰宅後は仕入れと検品。土日はまとめて作業。気づけば、自由な時間はほとんど副業に溶けていました。それでも続けられたのは、通帳の数字が少しずつでも動いていく実感があったから。会社の給料とは違う、「自分の力で生み出したお金」には、金額以上の手応えがありました。
乗り越えられたのは、気合いではなく「続けられる仕組み」を作ったからです。資金は無理に攻めず、需要と供給のバランスを見ながら仕入れをコントロール。撮影・保管・海外発送は日本の代行会社に任せて、自分は仕入れ・検品・数字の分析という”頭を使う部分”に集中する。こうして自分の時間と資金の負担を減らしたことが、副業を辞めずに続けられた最大の理由でした。
それともう一つ、副業時代に地味にきつかったのが、会社に隠しながら続けることでした。誰にも相談できず、応援してくれる人も身近にいない。うまくいっているのか不安でも、職場では何食わぬ顔で働く。この”孤独”も、資金繰りと並んで副業時代の見えない重しでした。だからこそ、同じ目標を持つ人とつながれる場所の大切さは、身をもって感じています。
でも、苦しかったぶん、副業時代に叩き込まれた”お金の感覚”は、独立した今、何よりの財産になっています。利益と現金は違う。在庫は資産であり、同時にリスクでもある。この感覚を痛みとともに体で覚えられたのは、結果的に大きかったと思います。
月利100万、そして独立の決断(2023〜2024年)
転機が訪れたのは3年目、2023年でした。ついに月利100万円を達成。会社員の月収の何倍もの数字が、副業から生まれた瞬間です。
正直、最初に月利100万円という数字を見たときは、嬉しさより戸惑いのほうが大きかったです。「本当に自分が稼いだのか?」と。会社で何年もかけて上げる年収を、副業の1ヶ月で超えてしまった。長く感じていた”上限”の壁が、実は思っていたより脆かったことに気づいた瞬間でもありました。
ただ、一度きりの100万円では、怖くて会社を辞める決断はできませんでした。たまたま当たっただけかもしれない。来月はゼロかもしれない。ぼくが本当に独立を決めた決め手は、「月利100万円を”キープ”できたこと」でした。一発の花火ではなく、”再現できる”と自分で確信できた。その手応えを掴んだ2024年、ぼくは会社を辞めました。
とはいえ、安定した会社を辞めるのは、やっぱり怖かったです。収入が途切れるリスク、世間体、いろいろな声が頭の中をぐるぐる回りました。それでも最後に背中を押したのは、「やらない後悔のほうが、絶対に大きい」という確信でした。あの日、上司の年収を聞いて感じた絶望を、今度は自分の番で繰り返したくない。その一心で、ぼくは踏み出しました。
法人化、そして今(2025年〜)
2024年に脱サラし、翌2025年には株式会社を設立して法人化しました。今は月利200万円前後で推移しています。最近は、数字の分析や帳簿管理にClaude CodeなどのAIを取り入れて、事務作業の時間を圧縮しながら回しています。(副業から法人化までの流れは 副業から法人化までの全タイムライン に詳しくまとめました)
会社員時代に「自分の人生の上限は他人が決めている」と感じていたあの感覚は、もうありません。売上も、働き方も、付き合う人も、全部自分で決められる。収入が不安定になるリスクと引き換えに、ぼくはこの”自由”を手に入れました。そして、5年前に上司の年収を聞いて絶望した自分に、今なら胸を張って「大丈夫、ちゃんと抜け出せたよ」と言えます。
もちろん、今も順風満帆というわけではありません。eBayは突然アカウントが止まることもある世界ですし(参考:eBayの突然BANは実在する)、相場も常に動きます。でも、5年間積み上げた経験と”続けられる仕組み”があるから、淡々と対処していけます。
5年続けて分かった「淡々と続ける人が勝つ」
振り返って思うのは、必要だったのは特別な才能ではなく、淡々と続けられるかどうか、ただそれだけだったということです。ぼくが5年間で守ってきたことは、驚くほどシンプルです。
- 赤字販売は一度もしない(評価を集めるためでも、利益を削ってまでは売らない)
- 発送は信頼重視でDHL一択(速さと確実さが、長く愛されるセラーを作る/国際送料の考え方はこちら)
- 資金と相談しながら、焦らず一歩ずつ仕入れる
ちなみに「5年で月利200万」と書くと一気に駆け上がったように見えますが、実際は2年近く”ほぼ無収入”の助走期間がありました。グラフにすれば、最初はずっと地を這っていて、ある時から角度がついた、という形です。成果が出るまでにはタイムラグがある。これを知らずに「数ヶ月やってダメだから」と辞めてしまうのは、本当にもったいない。続けた先に、ある日ふっと景色が変わる瞬間が来ます。
地味です。でも、この地味さこそが5年残れた理由だと、心から思っています。派手に一発を狙って消えていく人を、ぼくは何人も見てきました。物販は、爆発力よりも”生き残る力”が問われる世界です。大きく張って当てるより、退場しないことのほうが、長期的にはずっと強い。これは5年やって確信していることです。
もう一つ大事なのは、自分の頭で考え続けることです。今はAIが何でも答えをくれる時代ですが、最終的に「何を仕入れ、いくらで売り、どう続けるか」を決めるのは自分。AIは優秀な相棒として使いながらも、判断の軸だけは自分の中に持っておく。その軸を作ってくれたのが、ほかでもない、あの苦しかった副業時代の試行錯誤でした。
5年前のぼくは、上司の年収を聞いて未来に絶望していました。でも今は、その未来を自分の手で書き換えられたと胸を張れます。変わったのは才能ではなく、「動いたかどうか」だけです。
これから副業を始めようとしている人へ。最初の収益が小さくて当たり前です。ぼくも最初の2年はほとんど稼げませんでした。でも、続けた人にしか見えない景色があります。一番怖いのは、失敗することではなく、何も挑戦しないまま、かつてのぼくが恐れた”あの未来”に静かに近づいていくことです。小さな一歩でいい。今日が、人生で一番若い日です。
よくある質問
Q. 副業はいくらの資金から始めましたか?
具体的な金額は控えますが、物販は仕入れにお金が必要なぶん、いきなり大きく張るのは危険です。ぼくは小さく始めて、売れて回収したお金を次の仕入れに回す、という形で少しずつ規模を大きくしていきました。借金をして一気に、はおすすめしません。
Q. 会社員を続けながらでも本当にできますか?
できます。ぼく自身、最初の3年は会社員との二足のわらじでした。撮影・保管・発送を代行に任せて自分の作業を絞れば、限られた時間でも回せます。むしろ、収入の柱を持ったまま挑戦できる副業期間は、精神的に一番安全な助走期間です。
Q. 仕事と副業の両立で、一番大変だったことは?
時間よりも「孤独」と「資金繰り」でした。会社に隠していたので誰にも相談できず、利益が出ても現金は薄く、常に気を張っていました。逆に言えば、ここを乗り越える仕組み(代行の活用・需給を見た仕入れ・無理に攻めない資金管理)さえ作れれば、副業は続けられます。
Q. なぜ中判フィルムカメラだったんですか?
日本の中古カメラは海外で需要が根強く、目利きと相場感で個人でも戦えるからです。ただし仕入れ単価が高く中級者向けなので、最初は低単価の小物から経験を積むのがおすすめです。
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この記事を書いた人:Kai
eBay輸出歴5年、累計2,000個以上を販売する現役セラー。年収450万円の会社員時代に副業でeBay輸出を始め、2024年に脱サラ、2025年に株式会社を設立。中判フィルムカメラを中心に世界へ販売しています。きれいごとではなく、実体験と実数で語る発信を心がけています。


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